先日も、獣医学部に入った子から連絡が来た。
大学の進級に失敗して反省したという連絡だ。
わざわざ報告をしてくれるところが実に誠実だなあと胸を打った。
なので僕も誠実に返信してやった。
久しぶり! ご報告ありがとう(^^) ○○君はこれまですさまじく順調やったから、むしろそういう経験しといたほうがいいと思うよ。 俺なんて2年間0単位でロクに大学行ってなくて学部内で『死亡説』が出てたぐらいやから、そんなのマジでたいしたことないよ。 そういう経験しとくとあとで『そういうつまづいた人』に会ってもバカにせず相手の気持ちがわかったりするから、むしろいい予防注射になったと思うわ(^^) 単位の取り方とか改善点とは、先輩とか友達とか先生とか、『ちゃんとわかってる人』に聞くといいよ! んじゃね! 俺は今YouTubeやっているわ! テレビにも放送された(´`) とにかくおめでとう! つまづくと優しくて味のある大人になるよ!もっとつまづこう! |
人生に起こることはすべて物語を盛り上げてくれる単なる役者でありエピソードである。と僕は思って生きている。
喜劇の映画ととらえるか悲劇の映画ととらえるか、人はそれぞれ見たいほうを見、選びたいほうを選んでいる。
悲劇がいけないのではなく、そういう楽しみ方をしているだけのことなのだ。
どうせ10年後の自分がそれを振り返った時、ほんっとうに大したことないのだから。
もちろん当時は大学の留年が辛いと思っていた
もちろん僕も当時は大学の留年が辛いと思っていた。
ただ、10年後にそれを振り返った時、むしろ宝にかわっていたことに本当に気が付いた。
これからは『個』の時代から転換して『コミュニティ』の時代だと言われる。
1人では生きていくのが難しい時代とも言える。
特に若い世代はシェア(共有)の考え方が感覚的に馴染んでいる世代で、今後、ありとあらゆるものがシェアの文化圏に突入してゆくだろう。
そんなとき、受験で習得してしたような『情報処理能力』は、役に立つ能力ではあるが、『応援されるための必須条件』ではなくなる。
今は、面白い自分の物語を作り出す人に人が集まる時代でもある。
コミュニティにおいて応援される人というのは得てして他人から見れば『たくさん失敗している人』として映るかもしれない。
ただ、その「失敗」をコロっと転換できる主人公目線を持っている。
特に留年のように、何か事件がおこったとき、風が吹いたときにその人間の根本(ねもと)を鍛えるチャンスでもある。
人は、上手くいくことだけでは応援されない。
失敗に価値がある、というのも、そういうことだ。
さあ、若者よ、今のうちに、どんどんチャレンジしよう。
どんどんズッコケよう。
俺は2年ズッコケた。