夢がないと仕事選びに困るのか?夢イコール職業という誤解

夢がない

坂田
夢がない、という悩みをちらほら聞きます。
にゃんこ
この話は、仕事や職業を選択するという就職のことで、よく取り上げられる話ですね。
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坂田
今回は、夢がなくて困っているという方にむけて、著名な方の考えをご紹介しつつ、僕の考えを述べてみようと思う。

糸井重里がテレビ番組でこんなことを言っていた。

こっこ
夢は小さいほどいいですね。

本気になれるから。

夢が大事なんじゃなくて、本気が大事なんですよ。

遠すぎる大きな夢を語っているうちは、中途半端なことを始めるけど、本当に本気になったときは風のなかに出ていかないといけない。

だから、夢を語る自分に対して、それを思った自分って何それ?っていうように、今いる位置での、自分自身に対する問いかけのほうが大事だったりするんですよね。

もしもそれで、オレ嘘ついてた、って気が付くとしたら、本当に面白くなる。

坂田
ありますよね。自分、ウソついてたってのは。
にゃんこ
夢イコール本気、ね。

学生の頃、畑正憲ことムツゴロウさんに質問をした時も、こんな言葉をもらった。

こっこ
何でも一生懸命するんだよ。

僕はクソするときも一生懸命にしているよ。

今日はこんなのが出たってね。

坂田
僕はこの言葉を聞いたとき、言葉にできないエネルギーを受け取った気がする。

世の中にあふれている心の問題は、質問することによって、言葉によって解決することができる、と思いこんでいる人が多いかもしれない。

でも実は、もっと具体的な時間によって、解決してゆくもののほうが多いのではないだろうか。

誰かと一緒にいる時間だったり。

ジョギングをして汗をかいたら悩みがふっとんでしまったり。

‥まあ、ともかく、夢がないという問題について、もうちょっと考えてみよう。

本気、と言ったり、一生懸命と言ったり、夢のあるなしではなくて、熱量の問題かなあ、と思ってみたりもする。

にゃんこ
まあ情熱的である人は、興味の幅が広かったりするね。

おそらくこの反対は『興味がない』ということだろう。

ずいぶん前に、不登校ぎみの中学生に出会ったことがある。

読書やテレビはもちろん、遊びにも興味がなく、将来に対する目標もないようであった。

昼間からカーテンを閉めて、コタツに身体をうずめている姿が印象的だった。

坂田
その時のことを思い返すと、夢がない、ということより、そもそも意欲がない、ということのほうが問題だなあ、と思うのだ。

それって単純にエネルギー不足、ということだから、また別のアプローチで対処すべき話になってくる。

にゃんこ
エネルギー不足になると、外に出るのが億劫になったり、行動そのものが億劫になっていきます。

エネルギー不足問題、に関してはまた別に記事にまとめていきます。

あとはそう。

僕もそうだけど、基本的に自分のこととなると、客観的にアドバイスしてあげることが難しくなる。

もしも同じような悩みを抱えた友人から

ぴこ
わたし、夢がないんだよね。

と相談に持ちかけられたなら、冷静にアドバイスしてあげられることもあるはずなのである。

にゃんこ
自分の問題ではなくて、他人の問題だとしたら、どうアドバイスしてあげるだろうか?

そんな視点で、思考を整理してあげると、この『夢がない』という問題を、より冷静に理解することができるだろう。

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夢がないと職業が見つけられない?

ためしに、ちょっと想像してみた。

ぴこ
私って、夢がないんです。どうすればいいでしょうか?
坂田
別にいいんじゃない?

僕もそんな夢って言えるものはないよ。

ぴこ
え?そうなんですか?
坂田
まあ、目標みたいなものはあるけど、でも、それよりは道中を充実させたり、今を丁寧に生きることのほうを重視しているからなあ。
ぴこ
将来の仕事を決めるとかって際にはどうすればいいでしょうか?

夢がないので、選択に困ってしまいますけど。

坂田
すべての人に言えるわけではないけれど、夢を職業にしてしまうと、そのあとで想定外の苦しい思いをしてしまうこともよくある話だと思う。

例えば、子供が好きだから、学校の先生になりたい。

と夢を持ったとする。

けれど、実際になってみて、拘束時間は多いし、保護者との対応にストレスがたまるし、そんなに密に子供たちと関われるわけじゃないし、給料もそれに見合ってないし、もうシンドイっす!

ってなる可能性もあるよね?

夢を職業かなんかと勘違いして、それを軸に人生を設計しようとしてしまったことが、そもそもの間違いなんじゃないかと僕は思ってる。

ぴこ
え?違うんですか?
坂田
もちろん、それで上手くいっている人も山のようにいるから、別に否定はしない。

僕も昔は『漫画家になる!』って息巻いてた頃があるからね。

でも、大事なのは、どういう気持ちを味わって毎日を過ごしたいか?という感情面を軸に、人生のプランを立てることだと思う。

子供と接している時が楽しい

という感情が人生の中にちりばめることができるなら、別に学校の先生を目指す必然性はないわけだよね。

ぴこ
まあ、たしかにそうですけど。
坂田
それよりも、

・ストレスがめっちゃたまる
 
・自由に使える時間が少ない
 
・お給料が少ない

ということも、どういう気持ちで毎日を過ごしたいか?

という感情面を作っているわけだから、このことも重大に踏まえて、設計していったほうが良いんじゃないだろうか?

・ストレスがたまらない

・自由に使える時間がある
 
・納得できるお給料の額である

こういう条件のお仕事につくことを目標にして(あるいは仕事を作ることを目標にして)

空いた時間で、子供と接する、ということを趣味でもボランティアでも副業でもやればいい、と極端な話、思うわけですよ。

そういう意味で、夢がない、好きなことがない、というのはベースとしては、とても自由度が高いと言えると思うけどな。

得意なことや好きなことがあると、それを活かそうとしてしまいがちだけど、それで選んだ選択肢の先が、その他のストレス感情を多大に生んでしまった!ということもあり得る話だからね。

ぴこ
時間やお給料で悩んだり、ということですか。
坂田
まあこれって、別な表現をするなら、どういうライフスタイルを送りたいか?という話だと思う。

だから、夢がない、ことそのものは、問題ではなく、むしろ自由に選択できる幅を持っているというアドバンテージ、だと思うよ。

ぴこ
ふ~ん。まあ、そんな考えもあるもんですね。

結局のところ、夢がある、夢がない、という一つの尺度が、幸福の条件であるかのように誤解されているのかもしれない。

‥と個人的に僕は思うのだ。

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