僕は昔から、深夜に曲を聴きながら妄想をするのが好きだった。
ある時は、詩や絵を描きながら。
暗い部屋で、オレンジ色の薄ら明かりを頼りに本を読んでは、妄想の世界へと入ってゆく。
そんな時間が、ときおり僕には、どうやら必要らしい。
曲を聴きながら妄想するというのは、僕にとっては曲のなかにダイブする感覚である。
深海に潜る魚のように、どんどん孤独な世界に入っていって、自分がとけてひろがってゆく心地がする。
それはまるで、小雨に打たれながら夜道を散歩するような「心地よい孤独感」と少し似ている。
曲を聴きながら妄想の世界へと探索してゆくあの時間は、僕にとってはストレスの発散にもなっている。
ジブリ映画の監督、宮崎駿は自身の映画について『日常からの解放』という言葉で語っていた。
妄想をすることで、こころが非日常へと解放されてゆく時間は、実は子供の頃から持っていた、ごくごく自然な遊びの時間だったんだろう。
日常であろうと非日常であろうと、それはなんら変わりなく、僕のふわふわした部分にとっては、いつも同等のリアルなのである。
作曲をする僕の友人は、いつも爆音で曲を聴きながら寝ている。
彼は自分の音楽について、好きで作っているというよりも「その時の自分に効く薬を自分で開発している感じ」だと言う。
無性に何かを作りたくなる、というのは、そういうことらしいのだ。
まあ、僕にとっての妄想も、そういうある種の餓えに対して、発作的に空白を埋めようとする行為なのかもしれない。
クジラはときおり酸素を求めて海面に浮上するけれども、僕はあまい時間をもとめて深海へと潜ってゆく。
『トーン』
ここはなにもかもが
トーンに満ちている
電車にゆられるアノコのこころにも
窓から見える曇り空にも
お気に入りの本のなかにある物語にも
しずかな夜
お気に入りの曲を聴いてみる
そこにとじこめられた
あまい味のする
秘密の世界のトーンを食べるように
ああ
僕の中に
飴色をした時間が流れ込んでくる
やがてこのからだが
セカイにとけてひろがってゆく