プロ漫画家の冬目景(とうめけい)さんは、昔、アクションを描くときに苦労したという。
自分がこだわりをもっていたり、好きなものを描くときは、自分の描いているものについて『この表現は読者に伝わるものなのかどうか』がわかる。
けれども、そうでないものは、『自分の絵がそれらしくできているのか、できていないのか』わからない。
というのだ。
三宅乱丈さんは、男性のがっちりとした肩にフェチを感じると言っていたが、たしかに他のプロの漫画家さんが上手いなあと関心するほど、その魅力が伝わってくる。
また、プロ漫画家かわぐちかいじは「今、自分がこのコマのどこを楽しんで描いているか」について意識するは重要なことである、と言っていた。
一日に膨大な量の絵を描くなかで、楽しむポイントを作ってやらないと、下手するとお仕事の絵になってしまうし、そもそもシンドイのだという。
浦沢直樹はアシスタントに『すべての絵を描きたい絵にしろ』と言っているらしい。
自分が楽しんでいないと、それは読者に伝わってしまう、というのだ。
このキャラクターはどういう感情であるか?何をしているのか?
といった説明としての情報じゃなくて、そこに込められた微妙な空気感であったり、アナログなものを読者は感じ取って摂取しているのだろう。
これはもはや、対面における実際のコミュニケーションに近いものだと思う。
漫画家のように伝える仕事というのは、同時に伝わってしまう仕事でもあるのだろう。
まあ漫画に限らず、表現をしてなにかを伝えるというときには、『表現者の状態が伝わってしまう』ということを意識するのは重要なことかもしれない。
ムロツヨシはそのことに気が付いて、若き頃のスランプの時期を脱したというね。
そういえば作曲が趣味の友人も、気分が落ち込んでいる時に作曲したものはたしかに『そんなトーン』になっていた。
今、自分は何を楽しんでいるのか?
自分の表現するものを届ける相手がいるときには、そんなクエスチョンを忘れないでおきたい。